大学院音楽学研究室ブログ-Osaka College of Music

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ナガイさん

わが音大の正門をくぐり、研究室がある建物に向かう途中に、ナガイさんの小さな胸像があります。
ふだんは誰も気にもとめず、卒業式の1日だけ、記念写真の背景にされてしまう胸像です。
私も、以前は網膜に映ってはいたものの、完全に見過ごしていました。創立者銅像を意識的にみる人はおそらく学内にほとんどいないでしょう。
さらにはこの像の前の芝生に埋め込まれている「建学の精神」なることばも読んでいる人はごくわずかかと思います。

ところが、このところナガイさんのことが最近、気になってしかたがないのです。
今、科研という研究費をいただいてとりくんでいるのが1920年代から敗戦にいたるまでの大阪と上海の洋楽受容の問題です。
二つの都市はもちろん、単純に比較できるわけではないのですが(上海はそもそも西欧列強の租界地です)、共通点も多いのです。
ナガイさんが洋楽不毛の地といわれていた大阪に、小さな小さな音楽学校(普通の日本家屋!)をつくり、奮闘していたころ、やはり上海には同じように苦労して音楽学院をつくったシァオヨウメイさんがいました。
シァオさんに関する研究は今もさかんで、著書や論文がたくさん書かれています。シァオさんはライプチヒで論文を書き、博士学位をとった人です。彼の建学のことばのなかには永井さんと同じく「世界音楽(シージエインユエ)」という中国語がでてきます。ほぼ同時期に日中で西洋音楽をいかに自国の文化として育てるかを考えていた人物がいたわけです。

ナガイさんも自伝や伝記などあることはあるのですが、私はこれまで書かれたものにはない、別の見方(アジア的な広がりのなかで)でナガイさんを捉えてみたいと思っているのです。
というわけで、朝、校門をくぐるとナガイさんが眼にとびこんでくる、というわけです。


(井口淳子)