夏休みも終わりに近づきましたが、教員にとって夏休みとは、まとまって研究時間がとれる貴重な季節です。
今回、私は上海フランス租界(100年にわたり上海の一角をフランス人が植民地化していた)の一次史料をもとめて、研究仲間とともに10日間の史料調査をフランスで行ってきました。
まず、一箇所はパリから2時間のナントにあるナント史料館です。ここはフランスが植民地支配した世界各地の行政、文化史料が集められています。わかりやすくいえば、領事館や大使館ほかが本国と交わした書類や書簡、各種資料が分類され保管されている場所です。「上海」という大きなファイルには年ごとの小ファイルがあり、また分野毎のファイルもあります。音楽や劇場に関する史料がどこに入っているのか、初日は戸惑うばかりでしたが、優秀な司書のおかげで、数百枚の史料をカメラ撮影することができました。
三日間通ってわかったのは、どのような些細なメモも破棄せず残されているということです。書簡の場合は封筒や便せん、そのコピーまで保管されています。戦後ほぼ手つかずだったボックスを開くときのわくわく感はなにものにも替えがたいものです。
次に訪問したのはパリ郊外、クルノーヴにあるフランス外交史料館 Centre des Archives diplomatiques de La Courneuve です。ここはナント以上にセキュリティが厳重で、館内には鉛筆とカメラとメモ用紙以外は持ち込めません。ノートもダメで、カメラカバーも取り外されます。二重三重のチェックを経て、中に入ると、パソコンで目的の史料を入力(コマンド)します。画面に到着の表示が出ると、カウンターで受け取り、指定されたデスクで閲覧します。
撮影は無料なので、夢中になってとっていると、あっという間に1日が過ぎていきます。空腹を覚えて職員食堂に行くと、自由に選べるメインディッシュ、サラダ、パン、デザートが並んでいます。満腹になり、また作業再開です。
史料館は17時にはきっちり閉門しますので、10分前には荷物をとり、外に出ます。
実はここからが難関で、最寄り駅のクルノーヴ駅はB2という郊外電車駅です。近くにはテント村があったり、不法滞在者も少なからず。実際、切符を買うときもホームで待っている間もかなり緊張していました。
日本に帰国して、ああ、なんて平和で安全なんだ、と感じると同時に、若いときにさまざまな国、地域、民族を肌で知ってほしいとも思いました。日本は実に特殊な国です。肌の色も同じ、友人もほぼ同じ環境で育っています。フランスではメトロ一両のなかに10カ国以上の多国籍人が乗り、話すフランス語も各国の訛りが強くにじみ出ています。
今回、目的は史料を得ることでしたが、それと同時に、自分を取り巻く日本という特殊な同一社会のよい面とそうでない面について考えさせらずにはいられませんでした。
フランス人があそこまで徹底して笑顔で挨拶するのは、他者と共存することの難しさを知っているからだと思います。私はあなたを隣人としてみとめますよ、という挨拶なのです。その必要がない日本では能面のような顔で、無言で相対することも許容されますが、近い将来、それでは生き抜いていけなくなると感じます。
後期の授業では、フランスの話題も出てくるかもしれません。
数々の失敗ばなしもお楽しみに…!(井口淳子)
パリ外交史料館・職員食堂のランチ
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