大学院音楽学研究室ブログ-Osaka College of Music

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★「こんなにもざあざあと大雨が」岩田寛子

どうしてベトナムなの。ハノイに留学することが決まって、よく聞かれるようになりました。納得してもらいにくいかもしれませんが、正直に答えると、むこうからやってきたからなのです。もちろんベトナムに行ったのも手を伸ばしたもわたしですし、留学する理由もいろいろあります。でもやっぱり、やってきたからなのです。夏の大雨のように。
 おととしの冬、初めてタンソンニャット空港におりたったときから始まりました。鳴りつづけるクラクション、うれた果物のあまい匂い、喧騒と日ざし、夜の風。それらはざあざあとわたしの身体に入りこんできました。香草の匂いのする人々、メコン川のゆれ、街のてざわり。帰国してからも、降られたものは熱いままで、ただの熱射病かもしれないと牽制しつつ、独学でベトナム語をはじめ、去年から初級・中級クラスに通いはじめ、留学生と知りあい、夏には二十日間かけて列車で南北を横断し、さまざまな肉やタニシやフォーを食べ、倒れるくらいにあまいコーヒーを飲み、ベトナム史専門の先生と知りあい、冬には科研の共同調査に参加しました。接するたびに大雨にあい、しみこんだものはなかなか蒸発しませんでした。


 もちろん、いいことばかりではなく思いだしたくないこともあります。それでも、もっと知りたいと思いました。暮らしや儀礼を。一瞬の視線や口ぐせを。路地裏の会話や気配を。底に沈められた大きな民族の感覚を。そしてわたしは、留学を考えはじめました。
 現地の人や留学生と知りあってまず驚いたのは、こころと肌の密着度が高いということでした。人といることが好きで、呼びかけや相づちがゆたかで、家族に焦がれ、頼りあうことや金銭のかしかりが多く(返ってこない時は「いつか返ってくる、倍になって」と思うらしいです)、同性の大人も腕をくんで歩くのです。どうして?というタイミングで歌いだしたり、わたしの苦手なニンジンがごろごろ入ったカレーを突然出してくれたり、日本人にはできない強引さと親しさでもって接してくれたりしました。
 日本はちょっとおかしくない?いつか留学生に言われて、わたしはそれに反論できませんでした。ベトナムはすてきな国だとベトナムの多くの人は言いますが、わたしは日本をそのように素直には思えません。自分も含め、温度のひくい不健全な魂があちこちにあるように思います。曖昧でありふれた言い方ですし、ベトナムを美化しているつもりはないのですが、ベトナムには、現在の日本やわたしの世代に必要なものがあると、どうしても感じます。老人ホームや弱者の整理と管理が展開しつづける日本に対して、ひとりでいることがますます上手になる日本人に対して、自らも何かをしていかなくてはと密かに思っているのです。「音楽」や「本当の調べ物・書き物」はおそらく、意志的で健全な魂から発生するとも思うからです。


 助手になってどのくらいたった頃でしょうか。生命は完全に何かを欠いて生まれ、それを他者によって満たしてもらう、という内容を教えてもらったことがあります。ああ、そうなのかもしれないと思いました。欠点によってひかれあい、補うことによって脈打つことができるのかな、と。もちろん人は、鳥や花や草木のようにシンプルにはいかなくて、限りなく複雑ではあるのですけれど、それでも自分と他者の輪郭を知りあうために手をのばし、外界と関係をつくるのかな、と。 
 そしてまた、何かを引きよせるとき、何かに吸いこまれるときには、音楽や研究や愛のはじまりが、生まれているのかもしれないと思いました。書いてしまうとなぜか陳腐なのですが、でも、そのあたりを感覚で気づけるようになったのは、音楽学専攻で過ごすことができたからだと思います。そして、感謝する、ということがどういうことかも考えさせてもらった気がします。だからこそ、本能を大切にしなさいと背中をおしてくださった井口先生をはじめ、高橋先生、本岡先生、中村先生、また励ましてくださった講師の方々にどのように感謝の気持ちを書いていいのかわかりません。いつか未来に、言葉以外のかたちと共に表せたらと思っています。どうか、待っていてください。最後になりましたが、専攻生のみなさん、大長さん、楽の会で知り合うことができた卒業生のみなさま、大阪音大の職員のみなさま、音楽学に関わるみなさま、ベトナム友好協会のみなさま、桃木先生はじめ留学にむけて助けてくださったみなさま、四年間の春と夏と秋と冬を、本当にありがとうございました。

岩田寛子(音楽学専攻アシスタント)