音楽畑春号を発行しました。
●巻頭言 井口淳子 「演奏のときを待つピアノ」
●新入生が加わりました! [新1回生] 平井伽南
[新編入3回生] 村尾都
●新しい先生 西村理
●音楽学専攻 教員、学生紹介
●お知らせ
●編集後記
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巻頭言をご紹介します。
【音楽畑 2009年度 春号 巻頭言】
「演奏のときを待つピアノ」
井口 淳子
兵庫県西播の夢前川(ゆめさきがわ)の河面をのぞむ大病院の一階ロビーに、そのピアノは置かれていた。
処方箋や支払いの順番を示す「電光掲示板」とそれをうつろな眼でみつめる患者やその家族。混んでいるときにはピアノの存在は忘れられているが、休診日になると、がらんとした暗いロビーの隅で、グランドピアノはカバーをかけられたままだまりこんでいる。
ピアノをロビーに置こうと考えた人は、何を思い描いていたのだろう。病院に来る人びとにピアノの音色を提供しようとでも思ったのだろうか?
しかし、病を抱えた人にピアノでどんな曲を届ければよいのだろう、誰も名案が浮かばぬままピアノはカバーにくるまっている。
これがレストランやカフェなら、それほど考えこまなくてもよいだろう。軽いタッチでポピュラーなクラシックやジャズを演奏すれば、誰も文句はいうまい。
しかし、ここは病院だ。病にもがき苦しむ患者やその家族には、どんな音楽も虚しく響くだろう。
では、いっそピアノを撤去するのがよいのだろうか?
私はその選択を避けたいと思う。
朝には朝の、昼には昼の、そして夜には夜の音楽があるはずだ。たとえば、夜ならバルトークの「戸外にて Im Freien」やショパンのノクターンのいくつかの曲…。
その音をきいて、何の曲かわからなくとも、ピアノの音を好きになる人が、そして音楽に生命の光を感じる人がきっといるはず。
ステージのライトのなかで演奏されるピアノは一握り。多くのピアノは今日も沈黙のまま一日を終える。ピアノは待っている、演奏されるそのときを。選曲という才能をもつ演奏者を。
2009年4月9日記
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今日は、ぽかぽか陽気です。
ゴールデンウィーク、みなさんは何をされますか?
(く)