4月21日早朝、民族音楽学者、山口修先生が逝去されました。
長く入院生活を送られていましたが、定期的に弟子のお一人からお写真が送られてきていましたので、突然の訃報に言葉もありませんでした。
1939年生まれの先生は、米国、ウェスリアン大学、ハワイ大学で民族音楽学を学び、長く大阪大学で教鞭をとられました。
と同時に、大阪音楽大学でもとても長い期間、非常勤講師を務められていたので、楽理専攻時代の卒業生には少なからず山口先生の授業を受講された方々がおられます。
例えば、ガムランの小林江美先生、沖縄県立芸大教授の小西潤子さんなど、先生との出会いがその後のライフワークを決定づけたという方もおられます。
ICTM(国際伝統音楽協議会)やその下部組織のメーリングリストで訃報がすぐに世界中に伝わり、数多くの民族音楽学者から心のこもった弔意が寄せられました。
1970〜80年代、小泉文夫、徳丸吉彦、山口修の3名の研究者がアクティブに調査、研究、国際交流を展開されたことは広く国内外に知られています。
音大との接点は数多ありますが、個人的に思い出されるのは、2005年に音大90周年事業として「東アジアの琴と箏」の演奏会と国際シンポジウムを開催した時のことです。企画段階から助言を惜しまず、世界的な琴学者、陳応時上海音楽学院教授らとともに登壇されました。この中日韓の三ヶ国の競演はDVDとして教育芸術社から刊行されました。
もう一つ、大阪音大との接点は地歌箏曲でした。研究対象としてだけではなく、ご自身も三味線を弾かれ、唱歌(しょうが)については繰り返し、論考やレクチャーのテーマに取り上げておられました。
本学の邦楽専攻、菊武厚詞先生、故星田一山先生らの地歌グループと懇意にされ、菊武先生とはモンゴル、ハワイなど海外ツアーにも度々出かけられました。
昨日、23日のご葬儀では楽理専攻卒業生でもある小西潤子さんが阪大音楽学研究室の弟子たちを代表して弔辞を読まれました。ミクロネシアを専門とされる小西さんは今、進行中の山口修調査資料アーカイブプロジェクトに取り組んでおられます。写真だけでも5000枚という膨大な遺産を未来に引き継ぐ大きな事業です。
学恩に感謝しつつ、心より山口先生のご冥福をお祈りしたいと思います。
(井口)